ジブリアニメ版「ゲド戦記」

たとえばアニメしか見ないで育つと、こういうものの見方しかできなくなるのではないかというひとつの集大成である。

ル・グィンの原作は簡潔な文体で綴られたこころの物語だ。
ファンタジーという形式をとってはいるが、そこで語られているのはきわめて質の高い精神世界なのだ。

ひきかえ、アニメの冒頭から喰いあう2頭の竜は、いままでの宮崎アニメにはなかったまがまがしさを感じさせる。
もののけ姫のタタリ神のえぐさなど、これに比べれば、まだまだ精神的なものだったのだなと知る。

話を冒頭の感想にもどそう。
作品のあちこちからこぼれてくるのは、『銀河鉄道999』の主題、『エヴァンゲリオン』の相克、東映動画のお決まりのシーン等々。
そういったものが、宮崎ワールドから寄せ集めたキャラクターのコピーで構成されている。
そのごった煮のなかから、しかし鮮明に浮かび上がってくるものが確かにある。
それは、J王国の王子Gが、国王としての父に抱いている、巨大な巨大なコンプレックスである。

が。
ただ不安でたまらなかったというひとことで、父殺しを正当化されては、観客はたまったものではない。
さらに言えば、唐突であるばかりか、以降反省もされていないあのシーンの暴力性を、提供者としてのジブリは、いったいどう弁護するつもりなのか。

その後の「アレン」の、“葛藤”も、表層的だ。
荒野でとりまかれた狼に「おまえたちが僕の死か」と言ってみせるくだりも何の脈絡もないため、ロールプレイングゲームの一シーンにしか過ぎない。

登場人物のまとう衣装は、安易で作りこみがされていず、せっかくのメッセージの場を放棄している。
ここから感じとれるのは、ものづくりという、作品に対する愛情が欠落していることだ。
はからずも、製作者の側の内紛までもがのぞき見える結果となった。

ゲドの繊細さ、アレンの明朗さ、テナーの精神性、テルーの運命の苛酷さ、そして、ムシではない、大いなる存在としての竜。
原作にこめられたすべての属性がはぎとられ、しかもカリカチュアにすらなりえない。

きわめつけは、おそらくテルーの次のセリフだろう。

「かげは、やみにかえれ!」

ここにはカオナシにすら、「おいで」と手をのべてやった千のやさしさのかけらもない。
原作とも。父の作品とも、180度相違するメッセージを発信してしまったのだ。

あだ花のように、エボシ御前とは比較にならぬ好演技をみせた田中裕子の熱演が哀しい。

かつて、ディズニーは、ライオンキングという汚点を残した。
興行的に成功したことが、その償いになるのだろうか。
そしていま、それとは別のあやまちを王国が犯した。
その後遺症は、前者よりも深刻ではないかと思う。
なぜ。
止められなかったのか。

父としての迷いか、あるいは
拒絶への報復か。

※ 原作者(ル・グィンさんです、もちろん) 公式HPで発表されていますので、追記します。

"Gedo Senki, a First Response"

ゲド戦記@映画生活

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この記事へのコメント

ミチ
2006年08月09日 23:04
こんにちは♪
TBありがとうございました。
こちらからのTBが入らないようでごめんなさい。
>J王国の王子Gが、国王としての父に抱いている、巨大な巨大なコンプレックス
このことを映画に盛り込む必要があったか本当に疑問です。
原作には父親殺しのシーンは無いそうなので、一層不思議に思います。
制作側の内紛を感じさせるものは見せてほしくなかったなというのが本音です。
Suzuka
2006年08月10日 12:56
コメントありがとうございます。
TBできなかったそうでごめんなさい、本文にリンクさせていただきました。

本音を言うと、よいこのジブリ的テーストに仕上がるのかナという危惧があったんですが、それとは別物になっていました。
どちらがよかったのかは、はっきりいってわかりません。